つぎに人力車についてみれば前述したように拝島村には明治一五(一八八二)年三二人の人力車夫たちがいた。それだけの需用があったのであろうが、一職種としてはかなりの人数である。東京で人力車が増加してきたのは明治四、五年ごろからで、拝島村では七年ごろ、営業願いをだす者が多くなってきた。人力車営業人は明治一四(一八八一)年、「人力車組合申合規定」を設け、行事・副行事をおいて営業をおこなっていた。なかには何台かの車を持つ者もいたようである。参考までに運賃表を掲げればつぎのようである。
拝島村組合人力車賃銭表
地名 里程 賃銭
箱根ケ崎 弐里 弐拾五銭
八王子 弐里険路 四拾銭
日野 弐里 三拾銭
府中 四里 五拾銭
立川 弐里 三拾銭
青梅 三里半 五拾銭
五日市 三里 五拾銭
二ノ宮 壱里 弐拾銭
扇町谷 四里 五拾銭
川越 七里半 壱円
所沢 五里 八拾銭
(市役所文書)
拝島の人力車(小山明家所蔵・昭和初年撮影)