明治一七(一八八四)年、北多摩郡役所の御用掛川崎平右衛門は、北多摩郡下における農村の産業発展をはかるため農工講話会を組織した。農工講話会は講話会や講習会を開き農業技術の発展や生産増強の啓発につとめた。こうした農事改良の団体としては、すでに明治一四(一八八一)年に大日本農会が設置されて、各地に支会を設けて農業技術の普及指導をおこなっていた。明治二四(一八九一)年大日本農会の支会が北多摩にも設置され、農工講和会は改組して、大日本農会北多摩支会となった。明治二八(一八九五)年、系統的農会組織の気運がおこり、東京府では同年一一月、農会の設立に関する準則を定めたのを契機に、府下の各地では農会設立の動きがはじまってきた。北多摩郡では明治三一(一八九八)年三月、郡農会を創立している。
昭島市域の動向も、こうした潮流と歩を同にしている。明治二一、二年ごろには農工講話会につらなると思われる「講話会」が組織され、雑誌購入などにより農事研究に従事し、大日本農会北多摩支会が設立された際には、大神村の中村半左衛門、宮沢村の田村金十郎の二名が常置委員となっている。北多摩郡農会が設置された明治三一(一八九八)年一〇月、九ケ村農会創立委員は、農会の設立願いを東京府に提出し、翌月認可された。九ケ村農会は
一支会 拝島村
二支会 大神村、田中村、上川原村、宮沢村
三支会 中神村
四支会 福島村、築地村、郷地村
の四支会をおき、つぎの二〇項の事業項目掲げて活動を開始した。
一 農事上有効者ヲ調査シ之レヲ郡農会ニ報告スル事
二 勤倹貯蓄法ヲ設クル事
三 耕種栽培法ヲ改良スル事
四 水田ニ二毛作ヲ実施スル事
五 農具ヲ改良スル事
六 精良ノ種苗ヲ交換シ収穫物ノ増殖品質ノ改良ヲ計ル事
七 肥料共同購買及農産物ノ共同売却ノ方法ヲ設クル事
八 用水路及排水路ヲ改修保護スル事
九 田区改正ノ方法ヲ講求スル事
十 家畜ヲ改良蕃殖スル事
十一 桑茶耕種ノ方法ヲ改良スル事
十二 蚕業者ニ連絡ヲ通シ斯業ヲ奨励スル事
十三 森林ヲ蕃殖シ及保護スル事
十四 植物ノ病蟲害駆除及予防スル事
十五 家畜ノ伝染病駆除及予防スル事
十六 農談会品評会共進会業ヲ開設スル事
十七 農事上重要ノ事項ヲ調査報告スル事
十八 便宜ノ場所ヲ撰ミ試作場ノ箇所ヲ増設スル事
十九 蚕業上ノ改良進歩ヲ実験スル事
二〇 前項ノ外農事上必要トスル事項ヲ講究スル事
(中村保夫家文書)
明治三二(一八九九)年六月、政府は農会法を公布し系統農会の設立をはかった。翌三三(一九〇〇)年二月、農会令が公布され、四月より農会法は施行されることとなった。これにより九ケ村農会は改組し、農会法にもとづく農会が設置された。なお、拝島村では明治四五(一九一二)年、村農会を創設している。