日露戦争後、戦争遂行のために払ったいろいろな犠牲は多くの矛盾を社会の上に現わしてきた。民衆は重税に苦しめられ、インフレによる物価高に悩まされた。農村の疲弊もひどく、村の中堅をなす自作農が減少し小作農化する一方、大地主への土地集中の傾向が目立ってきた。こうした貧富の差の拡大は村の安定層たる中農の没落を意味するもので、それは村財政の悪化を招来すると同時に、村の共同体的秩序をもつき崩すことになった。この農村の矛盾に対して政府も何らかの対策を必要とした。その対応の一つが地方改良運動である。
地方改良運動は明治四一(一九〇八)年一〇月の「戊申詔書」の渙発によって本格的に展開され、各町村は町村運営の方針である「町村是」を定め、その実行をうながされることになるが、そうした動きは日露戦争が終った直後からすでに現われていた。
明治三九(一九〇六)年五月の地方官会議には、内務省から「地方事務に謝する注意参考事項」が提出され、町村財政の確立や強化の方策がとられてくる。
拝島村では明治三九(一九〇六)年七月、「町村是要項実行状況」(市役所文書)を提出している。つぎに掲げるのは、その全文で、そこでは風俗改良から農事改善・納税・勤倹貯蓄・青年教育など一一項目にわたる農村改良の具体的活動が述べられている。これにより、当時の村の態様と農村の抱えていた問題およびそれへの対応の一端を知ることができると思う。
拝島村ニ於ケル町村是要項実施状況
一 風俗矯正
風俗ノ矯正ハ花(ママ)美虚飾ヲ避ケ徳義ノ涵養ヲ図ルヲ以テ目的トス之レガ為メニハ青年者ノ風化教導ヲ専ラトスル機関ナカルベカラズト今ヲ距ル十余年前青年会ナルモノヲ組織セシガ其目的ハ青年ノ学術研究ノミナラズ種々ノ方面ニ就キ創立シタルモノナレドモ近年漸ク其効果薄キノ感アリテ自然中絶ノ傾アリシガ昨三十八年再ヒ紀念ノ挙アリテ之レヲ善導ニ誘フノ方針ヲ採リ(一)冠婚ノ礼式ハ質素ヲ旨トシ花(ママ)美虚飾ノ盛装ヲ為シ又ハ身分不相応ナル饗応ヲナスベカラザル事(二)年末年始其他節句等ノ祝物ハ授受ノ旧慣ヲ断然廃止スル事(三)葬儀法会等ハ一切酒ヲ用ヒザル事(四)時間ヲ制限スル公私ノ集会ニハ必ズ之レヲ守ル事
以上ノ注意実行ハ主トシテ青年会ヨリ其風化ニ浴セシメ漸次一般ヘ及ボス様村内各五人組ヘ堅ク触示シ漸次矯正ニ赴キタリ
二 産業組合ノ設置
既ニ勧業組合ヲ組織シアリテ常ニ産業銀行ト気脉ヲ通ジ村内ニ於ケル金融機関ノ一ナリ
三 勤倹貯蓄
本村ノ貯蓄組合ハ一株金五拾銭計一千弐百株トシ毎月二十日組長之レヲ集金シ蓄積スル方法ニテ拝島村ヲ一区域トシ規約ヲ設定シ己ニ明治三十四年ヨリ実行セリ
四 義務教育ノ普及
農繁ノ為メ己ニ年令ニ長シ就学シ能ハザルモノノ為ニ秋期ヨリ春期ニ至リ夜学校等ノ仕組ヲ以テ修学セシメ猥ニ欠席セザラシム此方法ハ別段ノ規約モ定メアラズト〓モ就学義務者ハ誓テ欠席セズ一定ノ規約アルヨリモ堅固ナリ
五 養蚕及製糸改良
夙ニ養蚕及ヒ製糸改良ノ必要ヲ感シ一村挙テ蚕室ノ構造器械ノ精選其他消毒方法等ニ専ラ注意シ蚕種共同購入或ハ自家用蚕種製造等之レヲ試験シ充分改良ヲ施シタルニ其結果頗ル良好ナリ
六 米麦作ノ改良
種ノ交換ハ主トシテ施行シツツアリ在来種ヲ用フルモノ至テ鮮シ苗代ノ改良ハ之レガ趣旨ノ徹底シタルモノナルベシ本年ニ至リテハ悉ク短冊形苗代ニ改善セリ害虫駆除黒穂予防等モ是又実行シ成蹟佳良ナリ本年稲作ニ対スル選種立毛品評会ヲ施行シ以后毎年米麦ニ関シ各一回之レガ実行スルノ目的ナリ
七 副業ノ奨励
地租改正以来本村百四十八人共有ニ係ル多摩川河畔存在ノ三十四町歩余ヲ一村ヘ買受ケ而シテ砂利採堀ヲナシ村民自身ノ副業奨励トシテ各自ニ採取セシムル目的ニシテ本年中ニハ之レヲ実行スルノ計画ニシテ目下着々トシテ準備中ナリ
八 納税ノ滞納矯正
本村ニハ督促条例ヲ規定シアルモ未ダ之レヲ実行シタルコトナシ元来納税ノ事タル重大ノ義務ニ属スルニモ拘ハラズ之レヲ怠リ又ハ其期ヲ誤ルモノアルヲ以テ之レガ注意ヲ喚起シ怠納者ナカラシムルノ目的ヲ以テ各五人組ニ就テ納税上ノ便法ヲ協定シ畢竟方法ノ如何ヲ選バス五人組中ニ於テ徴税ノ申合ヲ為サシメ之レヲ実行シ納税上頗ル軽便ナリ
九 町村学校基本財産ノ蓄積
拝島村学校基本財産蓄積条例ヲ設定シ実行中ニシテ己ニ去ル三十七年度迄蓄積シタル概額金千参百五円五拾五銭ニ至リタルモ金壱万円ニ達スル迄蓄積スベキ規定ニシテ目下本村ヘ買得スベキ芝地ヨリ砂利採堀シ其収取方法ニ依リ余裕金ヲ以テ之レヲ蓄積シ且ツ明治四十年度ヨリ条例ニ依リ再ビ蓄積ヲ為ス計画ナリ
十 青年教育
従来青年教育ニ付テハ若干名ノ講習員及研究員ヲ出シ農事上ノ実行ニ関スル講習又ハ研究ヲ為サシメ漸次効績ノ幾分ヲ見シト〓モ未ダ足リシニアラザレハ農工商ニ関スル智識見聞ノ発達ニ図ルノ目的ヲ以テ三十七年度ニ於テ拝島文庫ヲ組織シ夜学又ハ日曜休日ヲ利用シテ講話講習ヲ為スノ方法ヲ規定シ実行シツツアリ
十一 耕地整理
本村農会ノ事業トシテ準備測量ヲナシ費用ノ出処ヲ講究シ実行ヲ計画シツツアリ
右状況及報告候也
北多摩郡拝島村長
明治三十九年七月六日 秋山朝三郎