明治以来、昭島市域の人々の交通は青梅鉄道が唯一のもので、人々はそれを利用してきた。開通当初一つであった駅も、明治四一(一九〇八)年七月中神駅の設置により便利さは幾分良くなったとはいえ、本村から離れていたため、その不便さは否めなかった。
大正一〇(一九二一)年五月、五日市鉄道は資本金五〇万円をもって創立され、大正一四(一九二五)年、まず五日市~拝島間が開通した。ついで昭和五(一九三〇年)七月一三日には拝島~立川間が延長され営業を開始。この五日市鉄道の拝島~立川間の路線は、青梅線とは異なり、拝島駅から分岐して、その南側を迂回、すなわち本村により近い地点を走る独立線であった。五日市鉄道の拝島~立川間の駅は拝島・南拝島・武蔵田中・大神・宮沢・南中神・武蔵福島・郷地・武蔵上ノ原・立川の一〇駅で昭島市域は短距離の駅で結ばれることになった。ついで翌六(一九三一)年八高線の八王子~飯能間が開通し、拝島駅は青梅・五日市・八高線の三線を結ぶ要駅となった。