三 軍需産業都市の発達

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 太平洋戦争が始まると軍需品の増産は至上命令となり、各工場も相ついで工場の拡張にのりだし、従業員も大幅な増加をみるにいたった。それにともない従業員用住宅はますます必要となった。このためさらに市域各所に集団住宅建築が始まり、第二次大戦中の間に、上ノ原、昭和郷、金鵄、文化村、八清などの各大住宅街が作りだされていった。
 では、当時の昭島市域の工場の分布はどうであったろうか。それを昭和一九(一九四四)年度の昭和町・拝島村両町村の町・村税納入名簿から抜きだしてみればつぎのようになっていた。
 第一砂利合資会社     八日市組
 清水組事務所       大林組昭和出張所
 海田組事務所       青梅氷株式会社
 千代田航空稲荷株式会社  日本通運株式会社中神出張所
 十条製機立川出張所    西川工業株式会社
 紅林組          東亜産業株式会社
 有田製作所        多摩川航空工業株式会社
 藤木工務店昭島出張所   西川製瓦株式会社
 五日市線通運株式会社   多摩川砂利木材鉄道株式会社
 大神製作所        東京航空機株式会社
 大神航空工業株式会社   村野製作所
 毛利製作所        昭和飛行機工業株式会社
                                         (「会議録」市役所文書)
 このほかに工廠が二つあったわけであるが、これら各工場で働く従業員には通勤する者も多く、そのために昭和一二(一九三七)年昭和前駅(現昭島駅)、同一七(一九四二)年東中神駅が新しく設けられた。そして、それらの駅前は、やがて商店街の発展がみられるようになる。