一 戦時体制

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 日中戦争の長期化にともない、政府は長期戦に耐えうる戦時体制の確立をはからざるを得なくなった。昭和一三(一九三八)年四月に公布された「国家総動員法」は、国力の一切を戦時体制確立のために投入しようとするものであった。総動員法の制定により政府は、議会の議決を必要とすることなく、国民生活に関する重要な事柄を決定できるようになった。
 こうして政府は労務や賃金および消費などを統制・制限する権限をにぎり、賃金統制令・国民徴用令・価格等統制令をつぎつぎに発令していった。これにより統制は社会のすみずみまで行きわたり、国民は日常生活の細部にいたるまで、政府の統制と監視とをうけることになった。そして、その統制を末端にまで徹底させるために組織されたのが町内会・部落会であった。しかし、町内会・部落会は日常の活動単位にしては大きすぎるため、より小さな単位としてつくられたのが隣組である。こうした町内会や隣組は昭和一五(一九四〇)年の「部落会町内会等整備要綱」にもとづいて、町内会・隣組に常会を設け、国策を国民に惨透せしめるための行政補助機関として編成されていった。そうして町内会や隣組は配給・供出・勤労奉仕・国債消化・強制貯金、防空などの仕事に、もっぱら従事させられた。
 昭和町では郷地第一~七、藤本、福島、翼第一~五、金鵄、築地、中神第一~八、大森、宮沢、文化、上ノ原、大神、上川原、上友会、田中の三二の町内会が作られ、その下に五~一〇戸を単位とする隣保会(隣組)が組織されていた。
 こうした国民支配の組織化と同時に、戦時体制での人的資源の確保と戦争に耐えうる国民を育成するため、体力の向上が奨励された。昭和一三(一九三八)年、近衛内閣が厚生省を新設したのも、建民建兵策を推進し、科学的に国民体力の練成を計ることにあった。つぎの史料も、そうした意味で戦時体制下の生活の一端をのぞかせてくれるだろう。
   国民体力法ニ依ル体力検査施行ノ日時及場所左記ノ通リ
  一 検査施行ノ場所 拝島村役場
  一 施行ノ日時   昭和十六年九月二十五日午后一時ヨリ
  右告示ス
  昭和十六年九月五日
       拝島村長 和田清秋
              (「会議録」市役所文書)