第二節 村落組織

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 旧村時代の昭島の諸村落にあっては、各村ごとに日常生活における相互扶助を主たる目的とした、さまざまな社会集団が編成されていた。例えば、「講中(コウジュウ)」と称される村組集団や、その下部組織である「組合(クミエー)」と称される近隣集団などが、それである。これらの組織は、村の鎮守の祭礼とか冠婚葬祭といった「村内(ムラウチ)」での大きな生活行事が、滞りなく遂行されるように、それらの行事に参与し、協力したり、或いは村人達の日常生活の中での生活物資や労働力の不足を、相互に補い合うといった、さまざまな互助的・協同的な機能を備えたものであった。従って旧村時代の各村の村民にとって、これらの村落組織の存在は、日常の生活を円滑に営んでゆく上で、必要不可欠な一つの社会的な条件でもあったと言えよう。
 然るに、戦後における昭島の社会・経済・文化の近代化への発展は目覚しいものがあり、農耕生活を基調とした伝統的な村落生活は、近代的・都市的な生活文化へと、大きな変貌を遂げるに至り、それら各種の伝統的な村落組織も、次第にその必要性が薄らぎ、衰退してきている、と言うのが現状である。例えば冠婚葬祭を例にとって言えば、かつては各人の屋敷で、挙式や披露宴など一切のことを行う形をとっていた結婚式は、近年殆んどの場合結婚式場で挙行されることとなって、人手を要する嫁迎えの行列を出す風習もなくなり、また相伴の仕度もする必要がなくなるなど、昔と比べるとはるかに簡略な様式のものとなってきた。そのため講中や組合の手助けがなくても済むようになってきたのである。また、葬式の場合も同様に、土葬から火葬へとその様式が移り変わったことにより、墓穴掘りや野辺送り等の風習がなくなったことから、それらの組織が関与し協同する場面も減り、次第にその機能が縮少化されてきている。
 このように、かつては日常生活を営んでゆく上で必要不可欠であったさまざまな村落組織も、近年の生活様式の簡略化、或いは都会化という急激な変化発展の中で、次第にその存在意義を喪失してきつつあるのが現状である。
 しかしながら、そうした消極的な文化的社会的条件下にあるにも拘わらず、市域における旧村落(本村)地域に代々居住してきた、言わば〝地つき〟の人達の間には、生活上の相互扶助・協同の観念が、未だ根強く残っており、昔に比べればその役割は減じてきてはいるものの、「講中付き合い(ヅキエー)」とか「近所付き合い(ヅキエー)」などと称する、それら村落組織を通しての付き合いは、現実の社会生活の中で今日でも尚生きつづけていることも事実である。
 本節では、今後益々衰退化への一途を辿って行くと思われるこれらの伝統的な村落組織の一つ一つを取りあげ、その古くからの姿を記録にとどめることにしよう。