昭島市域では、先にとりあげた村組である講中組織の下部組織として、古くから「クミエー(組合)」と称される社会集団が編成されてきた。このクミエーの組織は、市域の各旧村地域において、今日でも存続維持されており、実生活におけるさまざまな機会に、相互扶助的な機能を果している。そうした「クミエーウチ(組合内)」での付き合いを一般に「近所ヅキエー(付き合い)」と称す。
昭島で言うクミエーの組織は、江戸時代に幕府が、農民や町人に対し、年貢滞納の防止や犯罪の相互防止などをねらいとして、その連帯責任を負わせるためにつくらせた隣保組織である『五人組』の制度を受けついだものである。その名の示す通り、本来は隣近所の五戸がその構成単位となっていたものであるが、今日では、各組合内で「シンヤ」(分家のこと)が増えたことなどの理由で、必ずしも五戸を単位とせず、七・八戸から多い場合で一二戸を単位とするものまであり、その規模はさまざまとなっている(七戸及び八戸の組織である事例が一般的)。
組合の代表者は、通例「ゴチョウ(伍長)」とか「ネンバン(年番)」とよばれ、組員のうちの特定の者がその役に永続的につく場合と、組合内でのまわり番との場合があるが、後者の事例の方が多い。これら伍長の集まりが不定期にあったが、その集まりを「伍長の寄り合い」と称した。
組合は、講中同様日常生活に於ける相互扶助をその目的として組織されているものである。講中の組織は、すでに見てきた如く、生活上の互助的な機能をもつと同時に、村全体にかかわる生活行事を協同して執行する単位となる点で、公的性格をも帯びているのに対して、組合の機能は、その成員間での生活上の助け合いということに限られている点で、前者よりは私的性格の強いものであると言えよう。
こうした組合の役割はさまざまあるが、その幾つかを取り上げてみよう。
先づ第一に、「クミエーウチ(組合内)」での祝儀不祝儀への参加、協同といった役割を挙げることができる。
組合内で死者が出ると、組合に早速知らせが行き、組合内の者が招集され、その場で弔いの日取りや段取りがとり決められる。そして組合内から二名を一組とする「ヒキャク(飛脚)」が出され、弔いを出す家の親戚をまわり、口頭で弔いのことを伝える。伝達された家の方では、ヒキャクを座敷に通し、酒・御飯を出して持て成すのが習わしであった。
その他弔いの際に組合の者が受け持つ役割としては、受付けや会計があり、また女衆は台所仕事を手伝うことになっていた。さらに野辺送りの葬列においても、組合員の役割が定められていた。福島では、会葬に参列した組合員に、葬列におけるリュウタツ、高張り提燈・ツジロウ持ちなどの役をたのんだということである。
こうした不祝儀に対して、祝儀においては、結婚式の進行係である「ショーバントー(相伴頭)」を組合内から二名出さなくてはならなかった。この役は、「結婚式の良し悪しはショーバントーの腕次第」、と言われる程重要なものであり、その口上などが短くても長くてもいけなかったという。また、使う言葉も注意せねばならず、例えば「キレソバ(切れ蕎麦)」といった縁起の悪い言葉などは忌み言葉であり、「結婚式には言い返しがきかない」ので間違ってもそうした言葉は使わないよう常に心掛けていねばならなかったのである。こうしたことから、ショーバントー役を無事にこなすことが出来ると、村内でも非常に鼻を高くして、自慢することができたという。
また嫁迎えにも組合内から代表者を出さねばならなかった。福島の例では、組合からは一名迎えの者を出し、媒酌人と連れ添って嫁方へ花嫁を迎えに行ったという。先方で酒が飲めるということで、多くの場合青年がその役を引きうけたという。
祝儀の場合は、宴会の料理の仕度は大変なものであったので、組合内の女衆は総出で台所仕事の手伝いにあたったのである。
以上の如き祝儀・不祝儀の他に、組合内で家普請、家壊し、屋根の葺き替え等の作業が行われる場合も、やはり組合の成員が手助けをする習わしであった。これは所謂労働交換と言われる形で行われたものであり、組合内でも代々そうした関係で深く結びついた特定の家があり、組合の代表者である「伍長」を通さず、直接それらの手助けを頼み易いそれらの家に先づ援助を依頼し、さらに人手が足りない場合には組合全体に協力を要請したという(福島)。この労働交換については、相互に等質的な交換を行わねばならないといった厳しい規定もなく、あくまで任意的なものであり、相互の信頼により成り立っていたものである。手伝いに行けないからと言って金銭でそれを代用したり、或いは何日手伝いに来たというようなことを記録する組合の帳面もなかった。また、手伝いに来てもらったからといって金品によりお礼をすることもなく、ただその時に食事などを出してもてなすことが主な習わしとして行われていた。今日では、屋根の葺き替えにおける協同は見られないが、家壊しや家普請の場合は、そうした労働交換の慣習は、消極的になってはいるが存続されている。
組合が備えていた主な役割は以上の如きものである。
尚、近年この伝統的な組合と同じような組織として「隣組」という組織が編成されており、或る地域では、その両者が重複し、また或る地域ではまったく別個のものとして存在している。この「隣組」というのは、その起源は新しく、戦時体制下において組織されたものであり、地つきの人達は、組合とこの隣組とは、別個のものと観念しているのが一般的である。