三 水の講

23 ~ 25 / 241ページ
 宮沢町から中神町にかけての奥多摩街道沿いの旧本村地域の一部地区において、二二軒の旧家をその構成単位とする「水の講」と称される生活協同的組織が編成されている。
 宮沢は、『新編武蔵風土記稿』にも
  村名の起は土人の話に、鎮守諏訪社地にも御手洗の清泉あり、其社を持とせる阿彌陀寺よりも清泉出る所あり、宮社の沼澤といへる義にて、宮沢と呼しならんといへり(以下略)
        (傍点は引用者による)
という、村名の由来伝説が記述されているように、古くから湧水に恵まれた地として知られている。
 それらの清泉の一つである、宮沢町故鈴木兵庫氏の屋敷裏の段丘崖より湧き出る湧水は、その豊富な水量を集め、清流となって旧村落地域を西から東へと流れている。その流路にあたる宮沢及び中神の二村にまたがる二二軒の家々では、門前を或いは屋敷の敷地内を流れるこの清流を、古くから、飲料水や、米とぎ、風呂の水、食器洗いなど、さまざまに利用してきた。こうした清流(「堀」と称す)の共同使用、維持管理のために組織されたのが、この「水の講」であった。

水の講(中神・宮沢)

 その使用にあたっては、洗濯をしてはいけないとか、使用後の風呂の湯やその他の汚物を捨てることを禁じる等、いくつかの取り決めがなされている。
 講全体で行う行事としては、日は特に定まっていないが、二月初旬に行う「お日待ち」がある。この日待ちの宿は講員各家のもちまわりとなっている。日待ち当日には、講中の男衆がその年の宿に集まり、総出で堀さらいを行い、汚物や泥土を取り除き、きれいに清掃する。この堀さらいを行う前に、宿となる家の主人は、水源地の前に建てられている水神様を祀る小祠に参拝に行き、豆腐、油揚げ、神酒を供えてくることになっている。堀さらいが済むと、宿で酒宴が設けられる。かつては堀にウナギやフナなどの魚がたくさん棲息していたので、堀さらいを行うと、一斗枡程の漁獲があったと言い、それを料理して酒の肴にしていたという。
 日待ちに出席できない講員からは、金銭で「出不足(デブソク)」を徴収する。また、講員ではないが、堀から少し離れているが、たまに堀を利用している人からは、「オボシメシ(思召)」といって所定の金銭を徴収する。これらの金銭は、日待ちの料理の材料や酒の購入にあてられる。