市域では一般に家を継ぐのは「ソウリョウ」即ち長男とされている。二男以下は一般に結婚後シンヤに出ることになっている。かつてはシンヤに出すには、親が自分の所有する土地を分与し、そこに家を建ててやっていた。従ってシンヤに出るのは、その村内である場合が多かったのであるが、他村に出る場合もいくらかあった。村内の地に分家した場合、講中の付き合いや氏子関係は、分家前に共住していた本家の付き合いと同じ関係を保つが(註一)、他村へ出た場合は、その土地の講中に加わるのが普通であった。
家に男児が無く、娘ばかりで「アトトリ」がない場合には、聟養子を迎えて家を継がせる。聟養子を迎えるのは、必ずしも家を継がせるための場合ばかりでなく、二女以下の娘の場合でも行われ、その聟養子を分家させるいわゆる聟養子分家の例もあった。聟養子を迎えた場合、必ずその家の属する「クミエーウチ(組合内)」と講中に、聟養子の顔見世を行わねばならぬしきたりであった。福島では、まず組合内に顔見世をし、講中に対しては、二月五日の鎮守社福島神社のお日待ちの際に、講中成員が一堂に会する機会に、神酒一升を携えて出席し、そこで披露されることになっていた。
また、中神では、聟養子の披露は、先ず組合内に対して行い、次いで組合内で講中に顔のひろい婦人一人が付き添い役に選ばれ、聟養子に同行してその講中の成員の家を一軒一軒挨拶回りをして歩いたということである。さらに熊野神社の例年の氏子新年会には、聟養子は神酒一升をもち出席し顔見世する義務があった。
本・分家は、祝儀・不祝儀・出産祝・正月・盆・彼岸・年忌法要などの機会に集まるが、その集まりを市域では、「親類寄合(シンルイヨリエー)」(拝島)とか「人寄せ」(中神・築地・福島)と称している。
また本・分家の間では、田植え・稲や麦の刈り穫り・棒打ち・養蚕といった農作業や、家普請・屋根の葺き替えといった労働のある際には、必ず協同して事にあたっていたと言うことである。