今日では既に見られなくなったが、かつては鵜飼いによる鮎漁も、多摩川において見られた。大正~昭和初期においては、立川の丸芝亭・中村屋・伏見亭といった料亭が、遊漁としてこれを行っていた。市域において見られた鵜飼は、所謂徒ち鵜(かちう)と称されるもので、「ウツカイ(鵜使い)」一名と、勢子二名の合計三名の者により行われる。第7図の如く、鵜使いは、二羽の鵜を従え、川の中央に立つ。その両足には、地曳網の一端が結ばれており、二張りの地曳網の他の一端はそれぞれ川の両岸にいる勢子役の者の足に結びつけられている。そしてこの三名の者は、八の字形に広がり歩調を合わせて、瀬を上流より下流へとゆっくり下ってゆき、アイを鵜使いのいる中央へと集め、鵜にとらえさすのである。
第7図 徒ち鵜
以上の諸種の漁撈技術は、昭島市域において昔から行われてきた鮎漁法である。次いでハヤ(ウグイ)などの諸魚族を対象とした幾つかの伝統的な漁法について触れておこう。