養蚕と農業に明けくれしている日常の生活では誰もが多忙そのものであったが、その中で女性の欠かせない仕事の一つが機織りであった。農家では家中の人が着る普段着程度は自家で織るのが普通であり、養蚕の仕事や農作業の一段落した時期がこれにあてられていた。機織りに夜なべは無理だといわれていたが、市内宮沢のある古老は「私は夜ランプの光でどれだけ織ったかわかりゃしない。夜になると村中で遠くの方からもトントンガチャン、トントンガチャンと機を織っている音がよく聞こえた」と語っている。村山がすりを一匹織るのに腕の良い人で一〇日以上はかかっていたようであるが、中には、一反を三日位で織る人もいた。
現金収入の途が余りなかった時代なので賃機の仕事をする人もあり、絹ものは八王子方面から、木綿は青梅方面から持ち込まれていたようで、着物だけでなく夜具地の賃機の仕事もあった。
普段着は農閑期に各家で織られていたが、機には手バタ・地バタや腰をかけて使用するタカバタとがあった。多くは手バタで家によっては二、三台置いていた。