昭和初期の野良着姿
農作業をする男は筒袖、女は長袖と一定していた。男は木綿のめくら縞の紺の股引きに、上半身には「シルシバンテン」を着け、手拭で頬かぶりをした恰好で農作業に従事し、足袋はだしや草履もあったが地下足袋を履く人もいた。女は長い着物で畠の仕事をするのだが、長袖にタスキをかけ、しりっぱしょりでメリンスのお腰を出して農作業をするのが普通であった。古老の一人は「黒いかすりの着物に赤いタスキをかけたお嫁さんはよく似合って風情があった」と述懐されている。頭には手拭をかぶり、ブヨが多かったので長靴下と足袋を履いていた。中にはキャハンをこさえて手足にまく人もいたようであるが、特に、年頃の娘はブヨのあとをいやがるので相当気をつかっていた。履きものは男性同様に足袋はだしやわら草履が使われていたが地下足袋を履く人もいた。
家内での養蚕の仕事には普段着そのままで、タスキをかけ袖をからめて仕事をした。桑摘みにはしりっぱしょりで仕事をするために、桑のシミがおこしに付着して二、三日汚れがおちないので苦労したようである。
なお、割烹着やモンペを着用するのは昭和の一〇年代頃からである。
雨の日の農作業には渋紙の合羽や編笠やミノを着用した。