麦は「ヒキワリ」を使っていたが「オシムギ」のように軟かくないので、こそっぽくて食べにくかった。オシムギを食べるようになったのは昭和の時代に入ってからであり、ヒキワリムギが殆んどであった。多くの農家は養蚕をも兼ねていたので、年間を通じて多忙な日常生活であったが、四月頃の養蚕の仕事が始まる前に麦をヒキワリ臼で砕き、一年間の食べる分だけのヒキワリムギをつくっておき、日々の食事に使用できるように用意していた。
ひきわり臼
粟も主食の一つで米と混ぜて粟御飯にして食べた。粟御飯は炊きたてであったかいうちは美味しいが、冷えたらボロボロになってしまい、「アワコワメシ」といってお茶漬けにしても食べにくいものであった。粟御飯をつくる時はサツマイモを切って釜の底にひいて炊いていた。
なお、大正末期頃まではヒエ(稗)を混ぜた御飯も主食の一つであった。