一 主食

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 米だけの御飯は月に三日程度でモノビ以外には口にすることがなかった。その日の来るのが待遠しかったようであるが、平素の主食は麦でそれに少々の米を混ぜた混合飯が一般的であった。ある古老は「麦一升のうちへ米を茶わん一杯位入れても、それじゃ多いと姑にいわれ〝これで多けりゃ入れましめえ〟なんていった」と語っていた。あら方麦の御飯という農家もあったが、「麦一升二つかみ」といわれていたように、麦七米三の割合の混合飯で、米麦五分五分の御飯を食べている家は余り多くなかった。半月程麦だけの御飯で過ごしたある古老は、始めのうちは喉へ通らないと話をしていたが、それに比らべれば麦七米三の混合飯は上等であった。
 麦は「ヒキワリ」を使っていたが「オシムギ」のように軟かくないので、こそっぽくて食べにくかった。オシムギを食べるようになったのは昭和の時代に入ってからであり、ヒキワリムギが殆んどであった。多くの農家は養蚕をも兼ねていたので、年間を通じて多忙な日常生活であったが、四月頃の養蚕の仕事が始まる前に麦をヒキワリ臼で砕き、一年間の食べる分だけのヒキワリムギをつくっておき、日々の食事に使用できるように用意していた。

ひきわり臼

 粟も主食の一つで米と混ぜて粟御飯にして食べた。粟御飯は炊きたてであったかいうちは美味しいが、冷えたらボロボロになってしまい、「アワコワメシ」といってお茶漬けにしても食べにくいものであった。粟御飯をつくる時はサツマイモを切って釜の底にひいて炊いていた。
 なお、大正末期頃まではヒエ(稗)を混ぜた御飯も主食の一つであった。