朝食は「アサメシ・アサゴハン」と呼ぶのが普通で、御飯に「オツケ(味噌汁)」と切干大根の煮つけ、カボチャなどのような季節の野菜ものの煮つけと「オシンコウ(漬けもの)」が添えられる。時には塩ザケやメザシも食膳にのることがあった。現代では居間やダイニングキッチンなどで家族が食卓を囲んで食事をとっているが、昭和の初期頃までは養蚕や農業の仕事が多忙なために家族全員が揃って食事をする閑もなく、各自がお勝手(台所)でおひつ、鍋のまわりに坐って箱膳を使用して食事をとった。箱膳は各自専用の食器を収めておく長方形の木箱で蓋がついていて、その蓋をお膳の代わりにして使用する。箱の中には御飯茶碗・皿・箸の食器類が収められるようになっていて、食器類は一週間に一回程度しか洗わないのが普通であった。普段は食後茶碗にお茶をそそぎ、オシンコウをたわしのかわりにして食器の中の汚れをぬぐい、お茶をついで飲む。食事が終るとそのまま箱にしまいお勝手の戸棚や隅に重ねて置くのが普通であった。
箱膳
仕事が始まって一段落すると一〇時のお茶の時間で、餅を細かく切って干したのをほうろくで煎ったアラレなどが「オチャウケ」であった。
昼御飯は「ヒルメシ・オヒル」などといっていた。時には「メンバ(弁当箱)」などに入れた弁当を持参して畑仕事に行くこともあるが、多くは家に戻って昼食をとった。朝飯と大差なく麦の御飯にオツケと野菜の煮つけにオシンコウという献立である。三時のオヤツを「オコジョ」と呼び一休みするのが普通で、間食をとった。時季にもよるが、五升釜でサツマイモをふかしたり、ヤツガシラをゆでた。また、うどん粉に重曹を入れて大きく焼き、砂糖醤油をつけて食べるヤキモチやサツマイモを乾燥させて粉にしたのを団子にする「サツマ団子」などもオコジョのオチャウケであった。うどん粉を薄い皮にして中にアン(〓)を入れ、ほうろくに油をひいて焼く「オヤキ」というのもあった。
一日の農作業が終り暗くなってから夕食の仕度を始めるが、「ソウザイ(惣菜)」は朝昼と大差なく、二度、三度毎日同じソウザイをくり返しているのが普通でハレの日以外には御馳走がなかった。