第三節 住生活

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 技術文明の進展は人々の社会生活に大きな変革をもたらしてきたが、特に、日常生活の場である住居に与えた影響は大きいものがある。住居は家庭の職業、家族構成、経済力や都市、農村の相違によって、規模や構造や間取りなどが多種多様にわたっているが、多くの民家は農家をその原型としている。日本の農家は農耕作業の関係から大家族的な生活を営み、住居が農作業と密接な関係にあり、また、村の各家との交際が親密で年中行事の集会場としての役割りもあり、田の字型の間取りと広い土間で構成されていたが、社会生活の組織構造や生活様式、家族構成の推移にともなって、土間の部分が消去され、田の字型平面の住居の部分が発展して、近代的な生活に則した合理性を意図する住居へと変遷してきている。木造が鉄筋、鉄骨となり、草葺き、トタン葺きの入母屋、切妻の屋根がコンクリートの平面の屋根に、イロリが洋間の応接室に、ふすまで仕切られ開放性のあった各部屋は新建材の壁で仕切られ、お勝手はダイニングキッチンというような和洋折衷型の間取りが一般的となりつつあるのが現代の住宅である。
 市内の民家についても同じ様な経過をたどっているように、家の改築、新築に際してもこの和洋折衷型が住居の基準であり、畑地に新築される文化的住宅も勿論この類型である。しかし、市内を散策してみると、まだ、明治の時代を偲ばせる、土間、板の間、畳の間をもった農家の住居が何軒か遺されている。現代の合理性が先行する住居からみれば、農作業や当時の社会生活を充分に考慮に入れたこの住居が過去の遺物のようにみえるであろうが、ここに、現代の住居の原型をみることが可能なのである。また、プレハブ建築さえ流行する現代では、棟上式などの建築儀礼も簡略化されるようになっているが、家に対する人の考え方も同時にかわってきている。
 本節では市内における、明治、大正期の住生活について、特に、農業、養蚕業を営んでいた農家の住居を中心にまとめてみた。