家を新築する場合は予め親戚、近所づきあいなどに話をして、一応協力を要請することからはじまる。旧い家を壊わすにも陰陽道による吉日を選び、神酒で清めてから取り払いの作業にかかる。ついで、基礎工事の段階に入る前に、大安の日をえらび「ジマツリ(地祭)」・地鎮祭が執り行われる、敷地には青竹四本を立てて注連繩をはり、祭壇をつくり、野菜・スルメ・コンブなど海山の幸と神酒を供え、神官が祝詞をあげてその土地の神を祭り、工事の無事と将来の繁栄を祈願する。この儀式には大工などの工事関係者、建築主の家の人々、親戚代表、近所づきあいの代表が参加する。式後、基礎工事の作業にかかり、これを「ジギョウ(地形)」といった。終ると一同が集り、酒肴で地鎮祭を祝うのが普通であった。
基礎工事、土台が出来上ると「タテマエ」という棟上げの儀礼がある。旧家をこわした職人、工事関係者、組合、近所づきあい、親戚の人を呼び執り行うが、柱に五色の布をつけた幣串を棟梁がつくり棟上に立てる。米・塩・海山の幸と神酒を供え、棟上には棟梁の他参加者の数人が上り、儀式が執行される。棟梁は家の繁栄を願う唱えごとをする。神酒を柱に注いだ後、米や塩を四方にまく。棟木に年月日と棟梁の名前を記した棟札をつける。棟上での式が終ると、かつては餅や銭をまく風習があった。棟上式終了後建築中の建物の中で、建材を机や椅子のかわりにして、赤飯や酒肴が出され祝宴が開かれた。折り詰めの御馳走を引出物としてソバやウドンも出された。
新築落成の祝宴は棟上式よりも豪華で、親戚、講中、組合、近所づきあい、工事関係者を招いて開かれた。近所の女性は台所の手伝いをするが朝から働き通しであるという程忙しかった。
以上、農家の住居についてみてきたが、社会生活の推移とともに住宅の様式もすっかりかわってきている。合理的、機能的な和洋折衷型の近代建築になっている現代の住居が、一時代前の草葺きの農家がその原型であるとは想像もつかないことであろう。
なお、宿場の形態を遺す街道筋の拝島では、農家の住居とは異り、街道に面して間口がせまく、奥行きが深い敷地であり、したがって、住居も田の字型の間取りの変型ではあるが様相を異にしている。