二 お七夜

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 赤子の誕生を喜ぶ嫁の実家では出産からお七夜までの間に米や鰹節などのお祝いを届けるが、出産後の七日目の夜を「お七夜」といい、当家では赤子の誕生を祝い赤飯、小豆飯を炊いて尾頭付きの御馳走をふるまう。この夜には媒酌人、産婆、嫁の実家の人々が客人として招かれ、産婆に御礼がなされた。市内の一部では赤子の頭におしめをかぶせ、赤子の安全を護ってくれるといわれている便所の神様にお参りさせる家もあった。この神様を産神と呼んでいた。
 この行事が終ると赤子に名前がつけられるが、命名によって人間社会の仲間入りをするわけである。当時は一五日以内に所轄の役所に出生届を提出する法律もなかったので、届出者の自由であり、中には一歳ぐらい年令の違うことがあったようで、生年月日も余り正確なものではなかった。名付け親は祖父、父親、村の有力者などが多く、中には姓命判断に権威のある人や役場の戸籍担当者に命名してもらう家もあった。当時は一郎、二郎のように数の順序を名前にする人もいたり、七人目の子供が生まれたから又七と命名したり、もうこれ以上子供を産まない表意としてトメと命名したが、また生まれてしまったので又吉と命名するようなこともあった。
 ある古老は「シンヤの善八という爺さんは格別の働き者で一代のうちに身上をこしらえた。最初の赤子を一郎と命名したが、二人目は自分にあやかるようにと善八と命名し、二人の善八が誕生した」と語っていた。また、中には親の名前を襲名する慣習をもった家もあり、また、数代前の名前を順番に命名する家もあった。
 赤子に名前が付けられると写真のように半紙にその名前を書いて床柱や神棚に張っていた。

お七夜の命名