九 成年式(成人式)

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 現代では二〇歳になると男女とも市の主催で成人式が挙行され、成人したことをお祝いしてくれるが、明治、大正の時代には成年を祝う儀式は特別には行われていなかった。
 若衆宿のような習俗はなかったが、若衆仲間と呼ばれる若い人の任意の集りが大正時代にあった。男子が一六~一七歳になると酒一升をもって挨拶をして仲間に入れてもらった。特定の行事もなく祭礼などの時に集り、その行事に協力する程度のもので、平素は村の駄菓子屋に集り雑談をしているのが普通であった。
 市内の中神では大正一一年頃に若い青年が集う青年クラブとしての玉川倶楽部が創立され、集会所もあって夜間遊ぶことをやめて養蚕に使う繩、網、莚などをつくり、また、道路や砂利道の補修工事や橋梁の工事を手伝う仕事をし、若い人達の親睦を深かめていた。勿論、大正時代の初期に国家の命による青年団が結成されていたが、それとは別の型で行動していたようであるが、この団体には一五歳過ぎの青年男子が参加していた。

玉川クラブの規約(原茂洋治家所蔵)

 なお、市内では大正時代の中頃に処女会という若い女性の集う会があった。会の主旨や内容については不詳であるが、若い女性が集って雑布さしや草鞋づくりなどをしたという古老がいた。
 以上のように、特定の成年式もなく、また、何歳をもって成人とするというような規定もない時代であり、慣習にしたがって若い人達は生活をしていたようである。
 ただ男子は満二〇歳になると徴兵検査の関門があり、市内居住者は府中にあった麻布連隊区で検査を受けるが、甲種合格が成人を証明する最高の勲章であったようである。