人は誕生から成年に至る十数年間の生活過程において、多様な通過儀礼の洗礼を受けて成長し、一人前の人間として社会に認められるようになるが、社会生活という立場からすれば、選挙権などの取得という国民的権利をもっていても、まだこの段階では社会的な地位は確実なものではない。婚姻という人生儀礼を通過してはじめて個人の社会的な位置づけが決定するのである。
婚姻は一面からみれば、一対の男女が夫婦の関係となり、性的な結びつきを基礎にして、継続して社会生活を営むことで、個人の人生にとって重大な出来事であることには相違ないが、単に、それだけではなく、婚姻は個人が社会の一員となって独立した家庭を築く、一家を成すという意志の表示でもあり、倫理的、社会的、経済的な面についても、今までの人生で体験したことのない大きな責任が生ずる出来事なのである。したがって、古い時代からの慣習として儀礼を伴うのが通例であり、儀礼のない婚姻については社会生活上の集団がこれを承認しなかった。
このように、婚姻の儀礼は個人の「一人前」の宣言でもあり、戸主、主婦という社会的な地位の決定を表示する場でもあり、同時に新しい社会関係の誕生でもあり、社会が承認するという、個人の人生において欠かすことの出来ない最大の儀礼なのである。
現憲法では婚姻は両性の合意のみに基いて、当事者と成年の二人以上の証人による届出によって法的に認められると規定されているように、婚姻の儀礼の有無に拘らず社会生活を営めるようになっているが、多くの婚姻は神前あるいは仏前などで式をあげ、親戚や友人等を招いて被露宴を行うのが通例である。地域により習俗などに多少の差異があっても、その前述した意味あいによるものであろう。
現代の婚姻の多くは夫方が中心となって成立させ、女性は嫁に行くという、「嫁入り婚」であるが、この形態は中世の武家の時代に始り、序々に一般庶民にも滲透するようになり、明治大正の時代には各地方の市町村にまで普及し現在に至っている。しかし、時代の推移とともに婚姻の儀礼も変遷し、小笠原流などの礼式に則ったものが神前や仏前にかわり、披露宴も農家の座敷からホテルへと、また、挙式までの過程の儀礼についても簡便化されているのが現代である。
本節では市内に遺された明治、大正時代の嫁入婚の諸儀礼について、古老の方々の生活体験を素材にしてその慣習をまとめてみた。なお、婿取り婚の場合についても同様な形式なので省略させてもらう。