養蚕の仕事が盛行していた頃の嫁の仕事は多忙であった。蚕の時季になると朝は四時頃から起きて寝るのが一二時頃というのが日常であった。
早朝かまどの火を入れることから一日の生活が始り、家族全員の食事の仕度をする。畑仕事を手伝いながら一〇時のお茶の支度や昼御飯の用意をする。昼休みも閑な時は洗濯したりするが、午後になるとまた畑仕事を手伝い三時のオコジョを用意する。夕飯の仕度は暗くなってから大急ぎで始める。夕食後はランプの下で足袋の繕ろいをしたり、桑もぎの仕事をした。一日中働き通しなので坐ればいねむりが出る。便所に入っていても、いねむりをする程であった。蚕のない時季の夜は機織りや着物の仕立てなどにあてていた。
ある古老は田の仕事や蚕の時季の繁雑さが一番つらい仕事であったと語っていた。また「昔は働いて、働いてね。それでも現金収入が余りなかったから、ものを買うということよりも、自給自足の生活を考えなければやってゆけなかった。」と語る古老もいたが、農家の人々は嫁に限らず家族全体が働き者であった。
「一〇年一息」といって、一〇年経過すれば嫁も立派な主婦になれるといわれていたが、姑がいる家では二〇年たっても嫁は嫁であり、台所の仕事はするが、家計の実権を掌握するには年月の経過が必要であった。
嫁の楽しみは年に何度かの里帰りであった。正月、節供、お盆、お祭などの日で、一晩泊るのがやっとであった。正月一五日は嫁の正月でもあり、のし餅を土産に嫁が公然と里帰りの出来る日であった。
普段は夫婦一緒に歩くなどということは恥しくて出来なかった。里へ帰る時でも主人は自転車で荷物を運んでくれるが、世間に遠慮してかくれながら後から歩いて行ったという古老もいた。
なお、新しくきた嫁は女のお日待ちの日に挨拶して仲間に入れてもらうのが普通であった。