人が死んだ場合、葬式その他一切の仕事を委任されるのが、組合とか講中である。一般には葬式組といわれているが、市内では「無縁講」と呼ぶところもあり、また、平素の講中の組織がそのまま葬式組として機能していた。
中神の無縁講は町全体が東、西、中の三組に分れていて、それぞれ五〇軒程度で組織されていた。鐘番、「穴番」などをはじめとして、現在の葬儀屋がするような仕事を一切引き受けて葬儀万端を整えた。各組には「膳倉」があって会食用の食器類や座布団が一式揃えられていたので、これを利用して弔客の接待をするのが普通であった。葬式には現在でも各家庭より一〇円を徴集して弔意金としている。
拝島では上宿、中宿、下宿に分れていて、各宿ごとに稲荷講を母胎とした講中組織があって、上宿では七五戸がこれに属していた。この講中の下部的な組織として、「クミエー(組合)」という五人組の組織があり、葬式の場合、この組合の構成員が中心となって働くように仕組まれていた。「講中づきあい」といって、香典を集める風習はなかったが、特に、組合の人は積極的に働き、男は穴番や祭壇づくりなどに、女は台所の仕事にあたった。また、講中倉もあり飲食用の道具や座布団も貸し出していた。