二 葬送の準備

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 「烏のなき方がおかしいからどこかでオトムライがある」「人だまが病人のある家から飛んだのでトムライがある」のように、人の死を予知する言い伝えがあるが、臨終の人が息をひきとる前に魂が肉体を離れるという考え方からきているのであろう。市内でも同じ様な言い伝えが遺こされている。
 人の臨終に際しては、家の人は先づ最初に両隣りの家に死亡したことを知らせる。両隣りの人は早速お悔みに来ると同時に、その両隣りに言い継ぐ。葬式の段取りを決めるために組合に知らせると、組合は向う三軒両隣りに言い継ぎ、組中が集って葬送の準備にかかる。葬儀の日は暦を見て友引き、寅の日を除き、日取がきまると組や講中の人が二人一組となって「ヒキャク(飛脚)」を引き受け、死者の親戚や由縁の深い人の家へ死亡の知らせに行く。時間に関係なく夜中でも飛脚は出掛けるのだが、明治の頃は歩いて行った。口頭で死亡と葬儀の日取りを通知した後、酒肴が出され御飯の馳走にあづかった。
 同時に葬送の大役である「穴番・メド番」がきめられ、明治時代の末頃までは葬儀屋が開業していなかったので、お棺の用意や死者の着物、草鞋、旗など、葬送に必要なものの準備にとりかかった。