臨終に際しては肉身者が水で死者の唇をしめし死水を与えるが、死者の処置は近親者の手によった。息をひきとったことがわかると、遺体の頭を北に向け北枕にする。死者の着物を脱がせて、普段着用していた長衣をかけてあげる。手を合掌に組ませて顔を白いサラシの布で覆う。また、刃物を紙に包み、枕もとか遺体の胸に置いて魔除けとする。枕もとにはローソクを立て、香華を置いて線香を絶やさないようにした。講中の女性は臨時のカマドで枕団子や枕飯をつくり、これを枕もとに供えた。枕飯は御飯を茶わんにもり、さかさに移し、死者が生前使用していた箸をたてた。
納棺する前に湯を使い遺体を清める湯灌をした。座敷の畳を上げてその上に莚を敷き、タライの中に遺体を坐らせて湯をかけるのだが、死者と関係の深い男性が中心となって裸になって洗った。妊娠している人の夫は遠慮させてもらうのが普通であった。現在ではこの湯灌も簡略化され、身内の人などが体を拭う程度になっている。
湯灌が終ると遺体に死装束を着せる。三途の川を渡る死出の旅路のための衣裳で、サラシの布の経帷子を着せ、手甲脚絆をつけ、白足袋、草鞋(草履)を履かせるのだが、この死装束は肉親者の手によるのが普通であった。これも簡略化されるようになり、昭和一〇年代以降は葬儀屋の持参する模造品を遺体の上にのせるだけとなっている。
納棺する時は穴あき銭六枚(六文銭)をサラシの布の袋に入れて首にかけ、「クワンボウ(桑の木の杖)」を持たせた。また、死者が生前愛用していた品や好物も一緒に納めるのが普通であった。棺は最期のお別れのすむまで、ふたに釘を打たないまま祭壇に安置した。
大正の初期頃までは座棺が普通であったが、それ以後、殆んど寝棺を使用している。座棺の時代は遺体が、硬直しているので納めるのに苦労したようである。