現在では殆んどが火葬場で遺体を焼いて埋葬するが、昭和三六年八月までは土葬が認められていたので、市内では土葬が多かった。そのため、遺体を埋葬する穴を掘る必要があり、この仕事にあたる人を「メドバン」「アナバン」と呼び、葬送に欠かせない大役であった。各講中や組合には穴番帳といわれるものがあり、拝島では組員の名前が五十音順に記されていて、役目のすんだ人には○印がつけられ、誰もが公平にあたるようになっていた。但し、近所づきあいの家の人や妻の妊娠中の夫は除外されるのが普通であった。穴番は五人ときめられ、四人は棺を担ぐ役で一人は掘った穴の番をした。
穴番は「シルシバンテン」に脚絆という野良仕事と同じ格好で穴を掘るが「穴掘り一升」といって酒が振舞われるので、これを飲みながら施主の指定した埋葬場所を冗談を言いつつ掘った。座棺を埋葬するので深さ一間程度の穴を掘るのだが、葬式の続いた家の場合には前に埋葬した遺体の一部が出てくることもあった。魔除けのためのタキ火のそばで、早おひるのおむすびを食べ穴を掘った。掘り上ると四人が葬家へ戻り、棺を担ぐ仕度をした。
穴番帳(市役所保管谷部精一家文書)