第五章 年中行事

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ひな段飾り(中村ウタ家)

 毎年一定の時季がめぐってくると、先例にしたがってくり返し行われる伝統性の強い、信仰儀礼的な行事を年中行事と呼んでいるが、人々は長い年月に亘る生活周期の経過の中において、代々この年中行事の慣行習俗を、比較的原型をとどめるように遺し継承してきている。
 この年中行事の多くは、稲作農業の諸儀礼が原型となっていて、農作物の豊穰についての祈願と感謝の行事であり、祭礼などの神仏を敬う習俗が村落全体の共同行事として、また、一家の安全と幸福、無病息災、商売繁昌を希求する一般家庭の生活行事として慣習化されるようになった。同時にこの年中行事は農村社会にあっては生活の折り目でもあり、休養の日でもあった。したがって、単調な農耕生活に明け暮れる農民にとっては、他の集団との親睦や交流を図れる機会でもあり、肉体的にも精神的にもやすらぎの得られる場でもあり、所謂、日常生活の枠をこえたハレの場であった。
 年中行事の諸儀礼はこのような意味あいから、長年月に亘って代々継承されてきているが、文明の進展に伴う農業生産の方法や生活様式の変化の影響を受けて、消滅してしまった行事やその一部のみが継承されている行事もある。しかし、形態や様式に多少の変遷があっても、年中行事の諸儀礼の多くは継承され現代に至っている。
 本節では市内に遺されている諸資料や古老の方々との談話会などによって採集した素材を基として、明治、大正時代の市内の年中行事をまとめてみた。三多摩地方の各町村と共通する習俗も多々見受けはするが、日常生活の中で年中行事の占める位置は比較的重要であったといえよう。
 なお、現代では既に忘れ去られた諸儀礼もあり、また、依然と踏襲されている諸儀礼もあるが、以下、当時の年中行事について月をおってみる。なお、神社の例大祭や講の行事については次章を参照していただきたい。