三月三日は女児の節供で、桃の節供と呼ばれていた。おひな祭の日で、女児のある家では子供の幸福を願い、座敷にひな段を設けてひな人形を飾り、調度品を整え、菱餅やお白酒や桃の花を供えてお祭りをするのが通例であった。長女の初節供は盛大に行う慣習があり、嫁の実家からひな人形一式が贈られ、親戚、近所づきあいや知人からもお祝いが届けられた。中神では講中からひな人形がおくられる慣習があった。返礼として、これらの人を節供の日に招いて祝宴が行われ、菱餅、白酒、はまぐりをお土産としていた。また、嫁入りしたはじめての節供には実家からひな人形がおくられてくるのが普通で、「オクリビナ」と呼んでいた。この時もお返しとして、餅菱、白酒、はまぐりを届けていた。なお、長女の初節供以外は比較的簡素なひな祭であった。
ひな祭は第二次世界大戦前後には一時的におとろえたが、戦後は各家庭で復活し、年々豪華なひな人形が飾られるようになってきているが、形式化している。