全国的には旧暦の八月のお盆が多いが、市内のお盆は新暦の七月に行っていた。農家の人々はお盆前に畑仕事を一段落させるために多忙な日々であったが、七日ぐらいから墓場の清掃をすませ、一三日の盆の入りに盆棚をつくった。
各家の盆棚は主人がつくる。盆棚用の竹の柱を四隅に立て、各柱の上に新しい笹をつけた。竹の柱にチガヤの繩を張りめぐらして、柿、栗、いものずいきなどを吊り下げた。以前にはソーメンを三本吊り下げるのが普通であった。棚の上にはチガヤで編んだゴザを敷き正面に仏の掛軸をかけて先祖の位牌を安置した。燈明、香華などを置き、ナスにオガラか新しい桑の枝を数本さして馬をつくって飾り、里芋の葉の上に供え物をのせた。十三日の夕方各家では盆にまつる先祖の霊を迎える、「迎え火」の行事を行う。門口で小麦のワラかオガラをもやし、その火をローソクに移して仏壇にあげた。迎え火の灯はおくり火の時までそのまま残しておくのが通例であった。また、提灯をもって墓地に行き、墓地で火を入れローソクに移して、盆棚の燈明に移す家もあった。迎え火を入れて盆棚に御飯や野菜の煮つけ、ダンゴなどを供えて、オガラの箸を添え、先祖の供養をした。なお、親戚や知人からの贈りものも盆棚の前に供えた。
盆棚
十六日の夕方には先祖の霊をおくる送り火がある。盆棚を片付けてから燈明の火を用い門口で麦のわラかオガラをもやした。家によっては燈明の火を提灯にともして墓地に行き、盆棚に供えたナスの馬などを墓前に供え、線香をたいて先祖の霊を送るところもあった。福島では迎え火の時、麦わらで三尺~五尺程度のタイマツをつくり、寺の墓前で火をつけて自宅までかついで行き、その火を盆棚の燈明に移した。普通は少年の役目で、楽しみの一つであった。また、送り火は自宅でタイマツに火をつけて墓までかつぎ、その火を線香に移してお参りをした。
送り火の時にもやした灰や供え物を川に流す家もあった。新盆の家では盆提灯を飾り、親戚や近所づきあいの人をお招きして飲食を共にしながら供養するのが普通であった。
また、お盆の間には檀那寺からお経をあげに来た。
お盆は農作業の休日で、庸人や奉公人は藪入りで、多くは実家に帰った。
送り火