D 大山講

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 大山の阿夫利神社は雨降りの神で農耕生活と関係の深かいことから信仰を集め〝大山詣り〟として有名であるが、市内では宮沢、中神、築地、郷地、福島の各地域に大山講が組織されていて代参やお日待ちがあった。中神では榛名、御嶽講の組織がそのまま大山講であり、村民の殆んどが参加していた。明治の頃では歩いての大山詣りが普通で、物見遊山的な要素が多かった。八王子から平塚へ出て大山を詣で、帰途は江の島に立寄るなど、三、四泊をかけての代参であった。その後は自転車を利用するようになった。お日待ちは四月一五日と決まっているので、それまでに代参をすませ、受けてきたお札を講中に配布したが、代参の費用やお日待ちの費用は講中の人達から徴収していた。昭和の始め頃まで続けられていたようである。拝島には大山講と称する組織はなかった。しかし、宿場町であった関係上から、町はこの時季になると、白装束で杖をもち、鈴を鳴らしながら通る大山詣りの人が埼玉県方面からやってくるので賑やかになった。「オオヤマドウシャ」と呼んでいた。