目次
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附編
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民俗編
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第六章 宗教と信仰
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第一節 民間信仰と講
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三 講
E 成田講
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千葉県の成田にある新勝寺は通称成田山と呼ばれ、家内安全の信仰で有名であり、江戸時代から各地域で成田講が組織され、成田詣りが盛行していた。市内の各地域にも成田講が組織されていたようであるが明確ではない。
上の写真にみるように中神の原茂洋治家文書に『明治二己年九月 成田山一心講二会目掛金取立帳』があり、五〇人程度が一人につき壱貫一匁六四文を掛金として納入していたことが記されており、明治元年には一心講が組織され積立制度をもっていたことがわかる。なお、明治一一年の『三拾七会目取立帳』が遺されており、成田講が存続されていたようである。この講は組中全体の組織ではなくて有志による講組織で、成田山には収穫米を奉納し、護摩札を受けて講中に配布していた。
『成田山一心講二会目掛金取立帳』(明治2年)