F 伊勢講

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 伊勢参詣を目的とした講で、調査では伊勢講についての記載がなかったが、小山重男家文書によれば、明治一〇年一月付で戸長の指田忠左衛門が沿道宿駅の各戸長に宛てた中野善太郎の旅行証が遺されており、旅行の目的を伊勢皇太神宮、讃岐金刀比羅神社への参拝としている。また、明治一二年にもお伊勢詣りをした人もいたと、拝島の古老は語っていたが、講として組織されたものはなかったが、個人的なお伊勢詣りはあったようである。明治二九年の『伊勢講申合規約』(小山重男家文書)が遺されていて、一六人で組織された伊勢講があったことを記している。伊勢参宮を目的として毎月六円を積立金として、明治三一年には参拝しようと計画されている。参拝したかどうかについては史料がないので不明であるが、このように、伊勢皇太神宮を信仰する伊勢講が存在していたのである。

『旅行手形』


伊勢講申合規約