福島の広福寺に明治九年に建立された富士登山の『登山五七度大願成就』の碑がある。この碑はもと青梅街道の郷地よりの南側にあったが道路改修のため移されたものであるが、福島村には柳川直右衛門を中心として、中神、郷地の人も講中に加わっていた富士講があったことが知られる。明治九年の時点で五七度の登山であることから、比較的古い時代から組織されていたようである。しかし、碑の建立以後、すたれてしまった。
以上の他に山岳信仰を基盤として発達した戸隠講、三峯講、妙義講、木曾御岳講、子の権現講などが市内の一部に組織されていたようであるが詳細については不明である。
なお、拝島には明治の末期頃から浜川様(川崎大師河原教覚院)を信仰する護摩講があり、五軒一組となってその内から一人が代参者として選ばれ、四月三日~八日の間に参詣していた。この講は最近復活している。天神講については年中行事の項を参照されたい。