K 頼母子講

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 村民の経済的な相互扶助を目的とした組織で、市内の各地域では余りこの講が組織されていなかったようであるが、中神の原茂家文書に『明治元年 頼母子講請取帳』があり、頼母子講のあったことを記しているが、限定された地域の組織で、講中の積立金を借用して利息をつけて返済する方法をとっていたようであるが、詳細については不明である。