六 庚申信仰

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 庚申の日は夜眠らないで過ごすという道教の思想に基く教えにより、古来からこの夜は徹夜して酒食の会を開く風習があり、これが次第に一般化して庚申待、庚申講という信仰行事となった。市内にはこの信仰についての遺された文書がないので講の組織などについては明確ではないが、庚申待供養塔や道祖神信仰と結びついた庚申塔が数点遺されているので、庚申信仰のあったことがうかがえる。
 現在福島の広福寺に「武〓多摩郡福島村金寳山広福寺現住単心誌之」と刻まれた宝永五(一七〇八)年に建立された庚申供養塔がある。この塔は以前には大山道(福島-砂川三番間の道)、現在の東中神駅の北三〇〇メートルの東側の通称「お寺の山」と呼ばれているところにあったのを現地点に移したのであるが、昔はきつねが出るといわれたほどの雑木林が続く淋しい場所にあった。多少おさいせんが上っていたり、万頭屋が店開きしたこともあったようだが、縁日などの行事は伝わっていない。この塔は正面に腕が六本ある青面金剛像が浮き彫りにされていて、下段に三猿も彫られている典型的な庚申供養塔で、一三人の施主名が記されており、また、左側には五人の施主名が記されている。施主が庚申講を組織していて酒食の会を開くお日待ちをしていたのであろう。

庚申塔(広福寺)