九 おしし様

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 拝島、中神の両村では埼玉県の上尾市に鎮座する八枝神社の狛狗大神を「オシシサマ」と呼び、悪疫を除く神として信仰していた。毎年一一月から一二月にかけて、獅子頭を奉安した神輿が神官に供奉されて廻村し、各村ではシルシバンテンを着た若い男性がこの神輿を担いで各家をまわり、悪疫退散を祈願した。この日は各家で祭礼同様の御馳走をつくり、無病息災、家内安全を家族一同で願った。また、お日待ちをするところもあった。神輿は一晩村に安置され人々の参詣を受けるが、拝島では宿は世話人の家がつとめるのが通例であった。年によって異るが、熊川村から受け継いだおしし様は拝島から八王子を経て、中神に送られてくるのが通例であった。中神では熊野神社に担ぎあげ、ここを安置場所として世話人を中心として拝殿の中でおこもりをした。農作業などの一段落した時季でもあり、信仰と同時に楽しみの行事であった。
 おしし様は八枝神社(古くは午頭天王、天王社と称した)にお祀りされているが、悪疫を取り除く御利益があるとされ、江戸時代から多くの信仰を集め、明治末年には東京、神奈川、埼玉の一府二県下の四区一四郡に亘り、神輿はこの地域を訪れ、毎年巡幸し活況を呈していた。信仰集団は当時二三〇余と記録に遺されている。中神では原茂家文書の明治八年の『平方村御獅子入費表』によれば、所沢、平方まで獅子おくりをしたと記されている。また、明治九年の『八枝御獅子控帳』(原茂家文書)によれば、金弐円五〇銭六厘をお札料として奉納した領収之証があるように、明治初期におしし様の巡幸があったことを示している。さらに、明治一七年~一九年の『講社邑々巡行簿』(八枝神社文書)によれば、拝島村の中、下組講中が御札料五拾銭、御宝銭壱円拾四銭弐厘を納め、中神村では御札料壱円と売札代三拾五銭、サイ銭五拾七銭を奉納している。なお、現在八枝神社に掲げられている額に大正一二年奉納のものがあるが、拝島村、中神村の名が記されている。特に、拝島では大正時代に悪疫流行という顕著な出来事が発生したことがあり、おしし様の信仰が厚かったことがうかがえよう。

明治17年『八枝神社狛狗大神講社邑々巡行簿』(上尾市八枝神社所蔵)


狛狗大神掛軸

 おしし様の巡幸は昭和一二年以後途絶えるようになった。