神社は各地域社会において日常生活を営む血縁、同族、村落の各集団が、崇敬する祖先神や地域社会全体を守護してくれる神霊を奉斉する場で、極めて素朴な信仰心に基くものであった。したがって、神社は地域社会の人々と密接な関係にあり、その信仰は土地に深かく根ざされたものであって、祭神の氏神と氏子は堅く結びつき、精神的な支柱としての意義が大きかった。しかし、時代の推移とともに神社の性格も変質し、国家鎮護の神を奉斉する神社も創設されるようになり、また、神社自体の発展によって信仰圏が拡大され、広範囲の人達までが氏子となり、中には統治者から免租の特権を認められる神社さえも出現するようになった。神社と氏子の関係も変質し、氏神も氏子も単に地域的な意味を表す言葉にかわってしまった。
特に、明治時代においては、新政府が敬神崇祖、祭政一致を基本的精神とする政策をうちだしたことにより、国家が神社を管理するようになり、神社の社格を定めて最下級の無格社を統合する制度を設けた。一村一氏神としたために神社信仰の本来の姿が失われ、氏神の祭礼も形式的になり、氏子の純粋な信仰心も変質してしまった。その後、昭和二〇年の終戦以後、神社と国家の関係が断ち切られ、神社は宗教法人として再出発し、多くは神社本庁に所属するようになった。
市内の神社についても、明治新政府の諸制度の影響を受けてはきたが、小町氏の遠祖の時代に同族一門の氏神として奉斉した諏訪神社が宮沢町に鎮座しているように、各町内には産土神、氏神、鎮守神と呼称されている神社が存在している。現在でも大小数多くの神社があり、毎年例祭を行い、また、お宮参り、七五三、結婚などの人生の折り目の行事などを通して町民と結びつき、伝統的な信仰に支えられて今日に至っている。
本節では市内の各神社に遺された文書等によって由緒、沿革をまとめてみたが、文書等が稀少である関係上不明確な点があり、神社によっては伝承の域を出ないところがあるのは遺憾である。
なお、各神社については『新編武蔵風土記稿』、山崎藤助編『郷土研究』などを参照した。