A 稲荷神社(郷地町)

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 宇迦之御魂命を祭神とするこの神社は、明治四〇年五月に明治政府から村内唯一の供進神社として指定され、昭和三〇年まで毎年幣帛使の参拝があり、神饌幣帛料が奉納されていた由緒をもっている。創建の年代は明確ではないが、隣接の宝積寺との関係などから、天文年間(一五三二~一五五四)頃に勧請されて、元和元(一六一五)年に再建されたと伝えられている。江戸時代初期の郷地は、宝積寺に遺る過去帳からみても、三〇戸内外の村落であることから、元和年間の再建は小祠とみて良いであろう。その後の経過についても不明であるが、『新編武蔵風土記稿』には「小社」と記されているように、近世の末頃には神社としての体裁を整えていたと思われる。拝殿の天井に八方にらみの竜と左右に二天女が描かれていて、「嘉永二酉中冬 紅林良山」筆と記された装飾があったが、この頃改築が行われたのであろう。その後、昭和一〇年に改造されたが、昭和三四年九月の台風の際にケヤキの大枝が倒れ社殿が倒壊したため、昭和三六年九月に再建したのが現在の稲荷神社である。
 境内には樹令四〇〇年と言われている、幹の周囲七メートルの大ケヤキがあり、神木とされ現在では昭島市の指定文化財となっている。また、末社として日枝神社(祭神大山咋命)が鎮座している。毎年九月一九日が例祭の日であり、賑わいをみせている。