E 諏訪神社(宮沢町)

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 口碑伝承によれば宮沢の地域は一条天皇の時代(一〇世紀末)に刀匠として有名を馳せていた三条小鍛冶宗近が陸奥へ下向の際、一男を宮沢に駐めて刀工を継がせたことにより開拓されたと伝えられているが、これが小町家の遠祖であり、累代この地に居住するようになったとされている。宗近は信濃国の諏訪大社を信奉していたことから、小町家の遠祖が諏訪神社の分霊を勧請して、同族一門の氏神としたという伝承があるが、創建の年代については不詳である。明治三一年に建立された社殿は昭和三一年一月に全焼したため翌年四月に再建された。祭神は建御名方命である。『新編武蔵風土記稿』によれば、この神社の崖下から四六時中湧き出している清泉があるので宮沢としたと記されている。
 境内には大山咋命を奉斉する末社の日枝神社があり、「山王様」と呼ばれている。また、池には市杵島姫を祀る厳島神社があり、「弁天様」と呼ばれている。この神社は阿弥陀寺の境内に弁天社として鎮座していたが、明治初年頃にこの地に遷座したものである。
 例大祭は例年九月九日に行なわれ、霊代の榊神輿が氏子町内を巡行する。祭の当日早朝より氏子の代表が神社境内に集り、長さ三米の長柄をつけた一米方の木枠に、土俵三俵をつめ込み、その幹に心筒・小枝を加え、その枝々に多数の紙垂を結びつける。約六時間程を要し出来上がる。この榊神輿を拝殿下の広場にすえる。午後五時、一番大鼓を合図に氏子が参集、二番大鼓で修祓、祝詞、直会等の儀式がはじまる。三番大鼓(午後七時頃)を合図に金万燈を先頭に町内の若者によりかつがれ、もみながら出発、町内を巡行し午後九時頃社前にもどり終了する。
 この祭礼の起源については明らかでないが、古老の話によると例年欠かさず行なっていたが、昭和一九年戦争が激化した際途断えてしまった。ところが近年になりその復興の機運が高まり、昭和五二年秋に復活、盛大に執り行なわれるようになった。