G 日枝神社(上川原町)

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 『新編武蔵風土記稿』には「山王権現」と記され、また、弘化四(一八四七)年の『寺社御改ニ付書上帳』(指田万吉家文書)にも「山王権現」とあり、日枝神社はもともと山王権現と呼ばれていた。祭礼は毎年九月二九日としていたことが知られる。さらに、この文書には朱書で「天正七年己卯年三月勧請、祭神一座日本武尊 神体草薙剣云々、宝剣内侍所」と記されており、創建は天正七(一五七九)年とされているが、この文書の前半の部分で「勧請之儀者年代相分リ不申候」とあり、不明である。明和元(一七六四)年に本社再建の記録が遺っているように、江戸時代に入ってから寄進者が多くなり、鳥居の建立、石燈篭の奉納、屋根の葺替えが行われている。鎮守の神社として多くの信仰を集めていたことが伺えよう。末社に浅間神社がある。