J 第六天社(郷地町)

190 ~ 191 / 241ページ
 第六天社についての史料が現存していないので由緒等については全く不詳である。享保二(一七一七)年に宝積寺が高月の円通寺に宛てた覚書(紅林順三家文書)に第六天社の名が見えるだけである。なお、第六天社の周辺を高地(合地)と呼んでいるところから考えてみると、比較的古い時代の創建ではないかと思われる。なお、『新編武蔵風土記稿』には記載されていない。