町後神社と称していたが、明治二八年一〇月神明社に改称した。創建年代は不詳であるが、正平年間(一三四六~一三六九)新田義貞の家臣三津田源之進が御神体を奉じて祭祀し、その後、小祠を造営し文禄年間(一五九二~一五九五)に改築したといわれている。さらに、万治元(一六五八)年久保庄右衛門が再建し、以後数代に亘って奉斉していた。明治二九年にも再建されているが、当時は宇迦之御魂神を祀る稲荷社、須佐之男命を祀る八雲社、久保氏を祖霊を祀る祖霊社の末社があった。しかし、大正六年の拝島大火にあい類焼したために、大正七年に再び建立し末社を本殿内に合祀した。祭神は天照大神で、御神体は金の座像である。