高田山と号す天台宗の寺院で、郷地の住民の檀那寺として信仰を得ているが、開基開山は不詳である。二〇年前の本堂改築の際、文政九(一八二六)年に再建したとする棟札が発見されている。しかし、それ以前に二度火災にあっているので、寺記が焼失しているため、由緒については全く不明である。当寺の中興の祖と言われ元禄年間(一六八八~一七〇三)に住職をつとめた六世権大僧都空者法印亮源の存在があることから、六代前の創建とすれば一六世紀頃にあたるので、この頃の創建と推定されよう。本尊は薬師如来の木坐像で江戸時代初期の作で名品であるとされている。
なお、境内の墓地に江戸時代末期の俳人不老軒転の「望みなき身には今年の夢もなし」の辞世句を刻んだ墓がある。