金峰山と号す臨済宗建長寺派の寺院。開山は立川の普済寺三世直庵啓端であるが、開基と年代は明確ではない。昭和二九年改築の際に発見された棟札によれば室町時代の初期(一四世紀~一五世紀初)に普済寺の隠居寺として建立されたようである。『新編武蔵風土記』によれば、境内の山丘の中腹に数基の古碑があり、永享二(一四三〇)年・永和二(一三七六)年・文和二(一三五三)年・応永年間(一三九四~一四二七)などの年号が刻まれていたとしているが、現在でも板碑、五輪塔が数基遺されており貴重な史料となっている。
その後荒廃の様相を呈したが、甲斐武田家の旧臣内藤源左衛門正頼(正久)が徳川家の旗本となり、福島の地を知行したことから、正頼が広福寺を再興した。その後、火災にあい宝暦六年(一七五六)三月に現本堂が再建された。
なお、内藤家は明治維新の際に正統が途絶えたが、内藤家累代の墓が境内にあり、特に、正頼の墓は市指定の文化財となっている。本尊は十一面観音木座像である。かつて、享和三年(一八〇三)に寄進された梵鐘があったが、第二次世界大戦の際に供出したため、昭和三七年に新鋳したものが現在の梵鐘である。
境内にある黒松は樹令六〇〇年と言われ、市指定の天然記念物となっており、また、「二千年蓮」があり、開花の時季には観蓮の客で賑わっている。