宮沢山と号す真言宗智山派の寺院。『新編武蔵風土記稿』によれば、当寺の境内に観応二(一三五一)年・文和年間(一三五二~一三五五)・永和年間(一三七五~一三七八)・康応年間(一三八九)・応永年間(一三九四~一四二七)の年号を刻んだ古碑があると記され、また、永享一〇(一四三八)年・長禄二(一四五八)年・寛正七(一四六六)年の板碑があることなどから、当寺の創建は六百年前頃と推定できる。
阿弥陀寺は本来は小町正喜家の屋敷にあったが、元禄初期に火災にあい、元禄年間(一六八八~一七〇三)に現在地に移建されたと伝えられている。その後、嘉永三(一八五〇)年に本堂を修覆し、昭和三三年にも修覆が行われ、四月には盛大な落慶式が行われた。
なお、境内には甲斐武田氏の旧臣鎌田孫左衛門正久が徳川家の処遇を受けて宮沢の地に四〇石の知行をもらい、初代の地頭となったことから阿弥陀寺と関係が結ばれ、現在、正久の碑があり、たゝくと金属音を発するので「かんかん石」と呼ばれている。本尊は阿弥陀如来の坐像である。