大上山薬王院と号す天台宗の寺院。開山開基は明確ではないが、かつては東勝寺という寺院で、現在の東勝庵の地に建立されていた。『観音寺由緒沿革』によれば、東勝寺は永禄一二(一五六九)年の滝山合戦の際、武田軍の攻撃を受けて焼失したが、その後、徳川家康の助力によって、慶長八(一六〇三)年三月に権大僧都広栄法印が現在地に移して再建し観音寺と改称した。
文化八(一八一一)年一〇月に高月の円通寺に宛てた書上帳『観音寺分限帳』によれば「東西六十間 南北百間内畑四反八畝十二歩 林六反歩」と記されており、拡大な敷地を有し、薬師堂、稲荷社 鐘楼などがあり、山門は青梅街道に面していた。
なお、東勝寺の創建については東勝庵境内から文明年間(一四六九~一四八六)などの板碑が発見されていることから室町時代初期頃の創建と推定できよう。
観音寺の本尊は十一面観世音菩薩の木像立像である。