I 本覚院(拝島町)

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 拝島山と号す天台宗の寺院。元三大師と呼称し、拝島大師として多くの人々の信仰を得ている。本尊は慈恵大師自作の坐像である。慈恵大師は天台座主として天台宗中興の祖として仰がれ、寛和元(九八五)年一月三日に入寂したことから元三大師と称せられたが、これが本覚院の別名となった。大師自作の像は延暦寺の寺宝であったが、元亀二(一五七一)年延暦寺が織田信長の手によって焼討ちされた際、敬湛大僧都が本尊を救出した。その後、敬湛は諸国を行脚し続けていたところ、天正六(一五七八)年現在の昭島市拝島町に至り、一堂を建立して安置したことが本覚院の創始となった。それ以後、元和三(一六一七)年に焼失し、寛永二(一六二五)年に再建され、享保一七(一七三二)年に大修繕が行われた。また、文化初年に罹災し、文政二(一八一九)年に修覆したと伝えられているが、現在の本堂は昭和二五年に大修覆されたものである。
 なお、元三大師は人々を救うために、厄病の守護に尽力したことから「厄除大師」とも呼ばれているが、本覚院にもこの信仰が厚く、正月二、三日に開かれる「だるま市」は古来から高名を馳せ、無病息災、家内安全を願って遠い地域からも善男善女が集り活況を呈している。