玉応山と号す曹洞宗の寺院。この寺院は天文年間(一五三二~一五五五)に開創されたといわれている。『新編武蔵風土記稿』によれば、開山は青梅根ケ布村の曹洞宗の寺院天寧寺の四世説翁星訓禅師で、開基は法名を義徹宗廓居士とのみ位牌に記してあり俗名は明かではないが、かつて、この境内に居住していた花房主計であろうと伝えられているとしている。天正一九(一五九一)年に徳川家康から寺領三石の朱印を賜っている。その後、元禄九(一六九六)年一一月に四世元如和尚の時代に再建し、文化二(一八〇五)年に再び再建して現代に至っている。本尊は釈迦牟尼仏、脇立は文殊菩薩、普賢菩薩である。
本堂の天井板絵五五面及び杉戸一六面は市の重宝となっている。天井板絵は淡彩竜図を中心に着色花弁図二二面、着色鳥獣図三二面が描かれ、杉戸絵は内側に欽中八仙図、外側に淡彩梅松図が描かれている。