K 大日堂(拝島町)

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 拝島山密厳浄土寺と号す大日堂は、『大日堂縁起』などによれば、天暦六(九五二)年の多摩川洪水の際に中州に流れ着いた大日如来の木像を大神の浄土にあった浄土寺に安置していたが、滝山城築城の折にその鬼門除けとして、この地に移したと伝えられている。
 創建の時代は不明であるが、『新編武蔵風土記稿』・『大日堂縁起』によれば、天正一九(一五九一)年に徳川家康より一〇石の御朱印を賜ったとしているから、比較的早い時代から存在が認められていたようである。また、『大日堂縁起』は北条氏照の家臣石川土佐守の娘於ねいの眼病を祈願し平癒したので、天正年間(一五七三~一五九一)堂宇を再建し、外に八箇の寺院を建立したと記している。
 この大日八坊については『新編武蔵風土記』によれば、普明寺、本覚院、円福寺、智満寺、蓮住院、竜泉寺、明王院、密乗坊の八ケ寺で、普明寺が別当であり堂領一〇石は普明寺が三石、残りの七坊が一石宛と配当されていたと記している。現存しているのは普明寺、本覚院、円福寺の三寺のみで、その他は廃寺となっている。
 大日堂に遺る棟札によれば享保一七(一七三二)年に大再興が行われ、堂の位置を現在の地に移したようである。
 現在境内には薬師堂、地蔵堂、六地蔵堂、鐘楼、仁王門が遺されており、往時の隆盛をとゞめている。
 大日堂の本尊は大日如来の座像で、両脇に阿弥陀如来、釈迦如来が安置されている。三体ともに都重宝「彫刻」に指定されている。また、仁王門に金剛力士立像があり、二体とも都重宝「彫刻」に指定されている。昭和五二年に修理が完了し、現在、仁王門に安置されている。