民謡とは、民衆の日常生活の中から、自然に生みだされ、民衆によって育まれ、幾世代にもわたって口から口へと歌い継がれてきた歌謡の総称である。従ってそれに包摂される歌謡は、極めて数多く、また多種類に及んでいる。こうした民謡を、口承文芸の一種類として把え、それを研究対象の一つとしている民俗学では、それら諸種の歌謡を、それぞれが有していた本来の性格によって、幾つかの項目に分類している。例えば、田植え唄や稲刈り唄の如き、田で行う労働の際に歌われる「田唄」、棒打ち唄や麦搗き唄といった、農家の庭先で行うさまざまな農作業の唄である「庭歌」、祭りで歌う「祭唄」、子守り唄や手鞠唄を含む「童歌」等が、その項目である。これらのさまざまな民謡は、どの一つをとっても、元来人々の信仰的生活(神祭りの行事など)や、農耕或いはその他の生業における各種の労働等、日常生活の諸側面と深いかかわり合いをもって、歌われてきたものであった。
しかるに、これらの民謡は、多くの場合、戦後の急激な生活様式の変化によって、それらが口づさまれてきた日常生活の〝場〟を失い、また実生活の一部分として演じてきた、その本来の重要な役割も、次第に忘れ去られるに至り、或るものはただ単に、それを人に歌い聞かせて喜ばす娯楽的な歌謡、もしくは流行歌といったものへと変質し、また或るものは、人々の口にされる機会もなく、その記憶の片隅に仕舞い込まれ、次第に死滅化してきている、というのが現状である。
それでは、昭島市域における民謡の伝承の実態は如何なるものであるかと言えば、後述する如く、「庭唄」に属する棒打ち唄、機織り唄や糸引き(糸繰り)唄などの特定の職業と結びついた労働唄等、数えるほどしか伝承されていないのがその実情である。しかもそれらは、今日では実際の日常生活の中では、市民の口にされる機会は殆んどなく、またそれらの伝承者も、極めて少数の古老に限られており、まさに前述した民謡の伝承における一般的傾向に違わず、死滅化への一途を辿っているものと言えよう。
かかる民謡伝承の貧困さは、ひとり昭島市に限ったことではなく、都市部においては多く見られる一般的な傾向なのである。そしてこうした伝統的な文化が、次第に消滅してゆく傾向は、民謡の面だけに限らず、前章までに見てきた昭島の民俗文化のすべての側面において、共通して認められる現象でもある。
かかる傾向の中で、幸いにして市史編纂のための民俗調査を通して採録し得た、昭島に伝承されてきた幾つかの民謡を、以下に記録しておくこととする。