一 棒打ち唄

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  〔歌詞〕
    大岳山(※一)から雲が出た ホーイホイ
    あの雲が かかれば雨か嵐か
               ホーイホイ
 
    青梅の宿(しゅく)は長い宿 ホーイホイ
    長いとて 物干竿にはなるまい
               ホーイホイ
 
    拝島の宿はしゃれた宿 ホーイホイ
 
    水(※二)までも 小じゃれにしゃれて
    流れる        ホーイホイ
 
    お前さんを待ち待ち蚊帳の外
               ホーイホイ
    蚊に喰われ 七つの鐘の鳴るまで
               ホーイホイ
 
    あの山こかげで鳴く鳥は
               ホーイホイ
    声も良し 音も良し山の響で
               ホーイホイ
 
    しんとろとろと眠けさす
               ホーイホイ
    我が妻が 来たらお目もさめましょ
               ホーイホイ
 
    多西は真土 豆どころ ホーイホイ
    五升蒔いて あたれば豆が八石
               ホーイホイ
     ※一 御岳山を中心とする一連の山々。
      二 旧拝島村の集落を、東西に走る本通り(現在の国道一六号線)は、その中央を流れる玉川上水分流によって二分されていた。その清流を指す。
 この棒打ち唄は、稲や麦の脱穀作業である棒打ち(穂打ちの訛り)を行う際に歌われた唄であり、すでに述べた如く、民謡の分類からすれば、「庭唄」の部類に属するものである。
 棒打ちは、毎年六月中頃から七月初めにかけての時期に、大麦・小麦の刈り穫りが済んだあと行われた。各農家は、それぞれ麦束を畑から自家の庭に運び込み、抜きとった麦の穂を蓆の上に置き、「クルリ棒」と称される連枷(カラサオ)によって、これを叩き、穂から穀粒を落とし、脱穀する。こうした庭先での棒打ちの農作業は、通常家内(うちうち)の仕事であり、身内の者三-四名によって行われるのが普通であった(経営規模の大きい農家では、賃雇いで人手を集めてこれを行う場合もあった)。このうちの一~二名が、「クルリ棒」を持ち、他の者と一緒に棒打ち唄を歌って調子を合わせて、それを振り回して麦穂を叩くのである。
 近隣の砂川村(現・立川市砂川町)などでは、農家の経営規模が大きく、棒打ち唄を専門に歌う者を雇ってきて、その唄にあわせて棒打ちを行っていたと言われるが、昭島市域ではそのような事例はなかったと言うことである。
 この棒打ち唄は、青梅、羽村、村山、砂川等、昭島の近隣の諸地域に広く伝承されているものであり、その節はどこの棒打ち歌でも同一であるが、その歌詞は各地域において少しづつ異なっている。昭島市域であっても、先に記録した拝島町の棒打ち唄の歌詞は、宮沢や福島に伝わるそれとは若干の相違を見るものである。
 棒打ち唄は、非常にゆったりとした節の唄であり、これを聞いていると、終日庭先で、額に汗しながらも、のどかに棒打ちの仕事に勤しんでいた、昔日の農村昭島の村人達の姿が、思い起こされてくるのである。